『小杉武久 音楽のピクニック』Pikunikku at 芦屋の美術館

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せっかく招待券を頂いたのに本当に行けるの?? な感じだったのですが、2月12日の展示最終日に滑り込みで観に行くことができました。芦屋浜にある芦屋市立美術博物館。駐車場はほぼ満車。館にはたくさんのひと。振替休日で最終日という事を考えても賑わっているなと感じました。若くておしゃれなひとが多かった。受付を済ませて入るとそこには扇風機。いつものあの昭和の、音出す扇風機。これ複雑な風をおこすことができるダイソンなんかの最新の扇風機でやったらどうなるんだろ? でもそんなにかわらないんだろうな。

2階に上がる。扇風機マノダルマ。展示室に繋がるホールの階段回廊にはブツブツ言う電子オブジェ。自転車は置いてありませんでした。本展示はふた室に分かれ、基本的に時系列に沿っていました。印刷物で見る小杉武久の活動の軌跡。アーカイブ展と言えばよいのだろうか、今回の展示物は、ビラ、ポスター、パンフレット、写真紙焼き、書籍、雑誌/新聞(とその切り抜き)、プログラム、小杉さんの手書きメモ、スコア、ドローイングなどなど、その90パーセント以上が「紙もの」です。第1展示室は東京藝大在籍中からタージ・マハル旅行団の時代まで。

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第1展示室と第2展示室のあいだにあるサンルームには、白砂に埋められたブツブツ言う奴と、光を喰らってジージーと鳴くたくさんの電子虫。そこからは芦屋浜団地が目の前に見えた。私たちは北から博物館へアプローチしたので、団地がこんな近くにあったことに気付かず些かびっくりした。70年代の終わり、最先端と言われたこの海辺の集合住宅は、離れた高台にあった私の家からでも肉眼でよく見えた。当時小学生。気になった私は日曜の朝に、あそこに連れて行ってくれと父親に頼んだこと、夏休みのあいだに仲のよい友達の一人がそこへ引っ越して行ったことを思い出した。40年経つ。と同時にその頃の事を連鎖的にさまざまつぎつぎ思い出してすこうし感傷的になっていたのだが、電子虫たちの声に現実に引き戻される。

第2展示室はマース・カニングハムから。紙はどうしても劣化しやすいのですが、どれも状態よく保存されていることに驚きました。集めてくるのも大変だったんじゃないかな。展示し/できなかったアイテムもそれなりの数あるみたいです。眺めながら、これぜんぶたとえば美術品専門のオークションにかけたらいったい幾らになるんやろ?などと無邪気にゲスなことを考える(そして書籍など容易に手に入るものばかりだが、展示物の中には私も所有しているものがいくつかあり、ちょっと嬉しくなる)。じっくり嘗める様に観ておおよそ90分。1階に降りて買ったカタログを、ホールのソファに腰掛けて開いたら、2階のさっきのマノダルマがとんでもなく素晴らしい音を奏で、扇風機のある方に吹き抜けを思わず見上げる。

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著書の表紙に使われている写真の出自がわかった

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トークショーだとか対談、あるいは上映会など特別な催しがある日に訪れたかったのですが、都合上それは叶いませんでした。でも今回の展示、少々印刷物フェチなところのある私は大満足でした。笑っているデヴィッド・チュードアの写真をみることができたのも、収穫のひとつ(カタログのなかに掲載がなかったのが残念!)。巡回はないみたいですね。どうしてこの場所で展示をすることになったのかは知りませんが、私には行きやすい場所。そういう意味では神戸市に住んでいてよかったかな。そして、とにかく行っ/けてよかったです。

おわり

 

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『美術手帖』1973年6月号。手元にあるもの。展示でも使用されていました(60年代ナム・ジュン・パイクらとのニューヨークでの写真)。これなど入手難易度 ★(★★★★★で入手困難) ですが、小杉さんとかれが当時参加していたタージ・マハル旅行団の特集が、インタビューと評論等で40頁にわたり組まれており、資料的価値はもちろんのこと、たいへん読み応えがあるものとなっています。寄稿した秋山邦晴氏が書いています。 「小杉武久は、日本で一番若い作曲家であるかも知れない。今年三十四歳。すでにかれよりも若い作曲家たちはたくさんいる。しかし二十代から今日にいたるまで、小杉武久はつねにアウトサイダーの存在として、強靭な意志で自分の主体性を貫いてきたのである」(p.136)。 その文章に書かれたかれからは40年以上経つのですが、ほんとうにそうで、おそらく未だにそうで、これからもそうで、だけどちっともそう見えない。

 

長文におつきあいいただき、ありがとうございました。

 

 

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